1908年ルール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/21 10:15 UTC 版)
「ビッグバン (金融市場)」の記事における「1908年ルール」の解説
そもそもイギリス史が欧州(特にフランス)との絶え間ない駆け引きなのであるが、ビッグバンも例外ではない。 ネイサン・メイアー・ロスチャイルドがナポレオン戦争で財を成した頃、取引所以外にも市場が成立していた。ロンドン取引所非会員業者は1838年までイングランド銀行においても取引できた。ロイヤル・エクスチャンジでも一定の取引が行えた。1815年にロンドン取引所総務委員会はイングランド銀行の株式を正式市場から削除すべきである、と命じている。一応、ブローカーとジョバー(Stockjobber)の会員分離は19世紀初頭にコンソル国債市場で普及していた。他の市場でも採用されたが、分離の境界線は必ずしも明らかでなかった。1847年に取引所ルールブックでブローカーとディーラーの提携が厳禁された。すると翌年欧州諸国で革命が起こった。ジョバーに対しては賛否両論であった。ジョバーの働きで、売りを委託されたブローカーが買いを委託されたブローカーを早く探せた。けれどもジョバーは自己のポジションで売買するディーラーだったので公平な気配値を示さなかったのである。結論より早くドーバー海峡に海底ケーブルが開通した。19世紀最後の四半世紀を通じてジョバーとブローカーの区別は業務の機械化にしたがい明確でなくなってきた。知られざるビッグバンが既に起きていたのであった。民衆の貯蓄を投資銀行と保険会社が運用する欧州仕込の金融が上陸していたのである。結果としてイギリス系投信が1907年恐慌で被害を受けた。翌1908年、取引所会員においてブローカーとジョバーを峻別することになった。また、非会員との取引も原則禁止された。もっとも、ブローカーはより良い条件を得られる場合、ジョバーは国外の鞘取り業務について、それぞれ非会員との取引が許された。 1913年末、ジョン・モルガンは連邦準備制度を設立させ、イギリス勢(IBC)を牽制しながら大西洋の貿易金融を掌握した。 モルガン財閥は、以降60年をかけてイングランド銀行を機関化してゆくのであった。
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