1907年パニック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 15:55 UTC 版)
「グローバル金融システム」の記事における「1907年パニック」の解説
1907年10月、米国でニッカボッカ信託会社(英語版)が倒産した。1907年10月23日に信託口が閉鎖を余儀なくされ、パニックを引き起こした。パニックに対応するため、米国財務長官ジョージ・B・コルティユーが25百万ドルを、ジョン・ピアポント(J.P.)モルガンが35百万ドルをそれぞれニューヨーク市の準備銀行に預け入れた。これにより人々が預金を引き出せるようになり、パニックは沈静化した。ニューヨークで銀行が倒産したことでマネー市場が収縮した。それとともに穀物の輸出業者からの信用需要が高まった。この信用需要に応えるにはロンドンで大量の黄金を購入するしかなかった。このため国際市場が危機に陥った。イングランド銀行は1908年まで人為的に割引貸付金利を高く維持しなければならなかった。米国に流れる黄金を用意するため、イングランド銀行は24か国で資金プールを組織した。フランス銀行はこのプールに黄金で3百万ポンドを一時的に貸し出した(2012年の3億560万ポンドに相当):123–124。
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