1852年から1918年までの兵器製造
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「プロイセン王立造兵廠」の記事における「1852年から1918年までの兵器製造」の解説
1850年におけるポツダムの製造施設の閉鎖ならびにシュパンダウ=シュトレーゾウ(ドイツ語版)への集中後、技術的施設の相応の近代化を経て最初に製造されたのは、20年にわたって兵器技術上の先進性を維持できた1841年式ドライゼ銃であった。その後、さらに優秀なフランスのシャスポー銃が開発されると、ドライゼ銃の新型(1862年式ドライゼ銃)が必要になり、結局はマウザー1871年式小銃が後継となった。 1877年の創設後、シュパンダウを所在地とした国営の小銃試験委員会は独自の銃、いわゆる「委員会小銃」(公式名称は「Gewehr 88」)の開発を開始する。それは数百万丁も他の銃器工場で製造されたにも拘わらず期待を満足させるものではなく、程なくして新しい武器が検討されることになった。その結果がマウザー1898年式小銃であり、1898年以降様々な仕様で製造され、第一次世界大戦においてドイツ帝国陸軍の標準兵装の一端を担った。現在(2013年)もなお、この銃は連邦国防省儀仗大隊(英語版)において外交儀礼上の任務に使用されている。
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