1852年の発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 16:04 UTC 版)
「ベンジャミン・バサースト (外交官)」の記事における「1852年の発見」の解説
バサースト失踪から45年後の1852年4月、ペルレベルクに住む石工キーゼヴェッター(Kisewetter)の家屋で白骨死体が発見された。この白骨死体は後頭部を殴られた形跡があり、キッチンの床の下に隠されていた。キーゼヴェッターは1834年にクリスティアン・メルテンズ(Christian Mertens)から家屋を購入したと述べ、メルテンズは父から家屋を継承していた。メルテンズの父は1803年に家屋を購入しており、事件当時は「白鳥」の従業員だった。 「白鳥」での賃金は低かったが、メルテンズの父が娘2名に多額の持参金を残したため、バサーストの所持していた宝飾品を盗んだと疑われた。1852年8月にペルレベルクを訪れたバサーストの姉妹トライフェナ(Tryphena)は死体を見て、それがベンジャミン・バサーストの死体ではないと述べたが、この時点でバサーストの失踪から40年以上経過しており、マイク・ダッシュ(英語版)も『オックスフォード英国人名事典』も決定的な否定にならないとしている。
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