14シーズンで10回の優勝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 10:35 UTC 版)
「アルムニAC」の記事における「14シーズンで10回の優勝」の解説
1900年から1903年(4連覇)、1905年から1907年(3連覇)、1909年から1911年(3連覇)と、3度に渡って3連覇以上を記録。1906年(8得点)、1907年(24得点)、1908年(19得点)、1909年(17得点)と、エリセオ・ブラウンは4年連続で得点王に輝いた。1906年にはプリメーラ・ディビシオン、タイ・カップ、コパ・デ・オノール・クセニエールの3冠を達成したリオ・デ・ラ・プラタ初のクラブとなった。また、同年には南アフリカのクラブに勝利し、国外のクラブに勝利したアルゼンチン初のサッカークラブにもなった。 1904年、クルブ・バラカス・セントラルは、アルムニのユニフォームカラ―に基づく赤色と白色のユニフォームを採用。1906年にはエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタがアルムニに倣って赤色と白色のユニフォームを採用し、1907年にはCAウニオンも同調した。アルムニACに敬意を表して名付けられたCAアルムニ(Club Atlético Alumni)というクラブがコルドバ州、ビリャ・マリアに存在する。1910年4月10日、リーベル・プレートFCは水色のユニフォームを着てアルムニに2-1で勝利した。これにより、ウルグアイ代表はユニフォームカラ―に水色を採用。それまでのウルグアイ代表はアルゼンチン代表に似通ったユニフォームを着ていた。 最後のシーズンとなった1911年シーズンは11勝1分4敗の成績で終え、エストゥディアンティル・ポルテーニョと同率首位となったため、優勝決定戦がヒムナシア・エスグリマのスタジアムで行われたが、アルムニはこの試合に2-1で勝利(得点者はアルフレード・ブラウンとレット)して3連覇を達成。このタイトルは11個目にして最後のタイトルとなった。
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