1対3変則タッグマッチ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/29 03:53 UTC 版)
1982年11月4日、国際軍団は、蔵前国技館でアントニオ猪木と、1対3の変則タッグマッチを行った。当初の予定では、猪木が木村・浜口・寺西と3人別々にシングルマッチで当たることになっていたが、数週前のテレビマッチにおいて、「俺たちは正々堂々と闘いたい!国際の灯は絶対に消さない!」との浜口のアピールを受け、猪木が試合を終えた後のインタビューで「3人まとめて来い!この際、国際の灯なんか全部消してやる!」と発言、この猪木の言葉尻を捕らえた国際軍団は「約束が違う、『3人まとめて来い』と言ったのは猪木のはず」と当初の予定をつっぱね、一度に3人と当たるよう執拗に迫った。 そこで、時間無制限の1対3ハンディキャップマッチとしたうえ、猪木は3本を取らなければ勝利とならず、一方の国際軍団は誰かが猪木から1本取ればその時点で勝利となる(タッグマッチと同様に選手交代も可)という、特別ルールを設け、さらにレフェリーはメイン1名に加えサブレフェリー2名の3人体制で臨むという、異例づくめの試合形式で行われることとなった。 この11月4日の試合では、まず寺西が腕ひしぎ逆十字でギブアップ、浜口もピンフォールを取られたが、最後に残った木村が猪木をリングアウトに追い込み勝利を呼び込んだ。 翌1983年2月7日、同じく蔵前国技館にて、これと全く同じ形式での再戦が行われたが、前回とは逆に、木村が真っ先に仕留められ、寺西も敗れたが、残った浜口を猪木が場外フェンスの外に出してしまい、当時の新日本のルールによる「フェンスアウト」で、浜口が反則勝ちを拾った(注:相手を投げるなどして、場外フェンスの外側=すなわち観客席側=へ出してしまったら、それが故意か否かは関係なく、出した側が即反則を取られ、負けとなった)。
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