1千年紀のアジア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 04:42 UTC 版)
7世紀頃、政治の中央集権化が進んだ日本と朝鮮半島では、その時代に計画された都市の多くに中国式の方格設計が採り入れられている。朝鮮では統一新羅の首都である慶州市、渤海の首都である上京龍泉府に唐の中国式方格設計が見られる。日本では藤原京(奈良県橿原市、694年-710年)、平城京(奈良県奈良市、710年-784年)、平安京(京都府京都市、794年-1868年)のような古都が唐の首都である長安を模して造られており、特に京都は「碁盤の目の街」と形容されるほど方格設計が有名な都市であるが、それ以降に建造された江戸(東京)では防衛上の理由から方格設計が避けられ、中心となる江戸城を取り囲むように不規則な街路網が形成されている。後に東京では部分的に方格設計が採られた街が形成されてはいるが、これ以外にも日本の都市において方格設計はあまり一般的でなく、日本の住所表記は方格設計で形成される街路よりも小さく細分化された街路を基準としている。 アジアにおける方格設計の伝統は20世紀初頭に入っても続き、北海道札幌市(1868年制定)ではアメリカの影響を受けた方格設計が実行されている。
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