1万1千人の根拠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 14:33 UTC 版)
確かに5世紀頃には、ケルンには処女の殉教者に関する伝承が存在したが、出典となる記録に応じて数が異なり、2名または11名の少人数の範囲であった。1万1千人の処女という数字は、9世紀になってはじめて登場したものである。 何故このような膨大な人数が言及されるようになったのか、その理由として考えられるのは、一つは、殉教者を二名として、その名を「ウルスラとウンデキミリア(Ursula et Undecimillia)」または「ウルスラとキミリア(Ursula et Ximillia)」と呼んでいたのが、前者の「ウンデキミリア」の名は、ラテン語としては、「undeci(m) millia」つまり「11なる千」、後者の「キミリア」の名は、「XI millia」つまりやはり「11なる千」と間違って解釈可能なため、「ウルスラと1万1千人の乙女」という誤読が生まれたということが考えられる。 また、いま一つの理由としては、「11名の殉教した処女」を意味するラテン語の言葉「 XI (Undecim) Martyres Virgines 」(註:XI はローマ数字で、11 を表す。またプリニウスが使った記法では、「X. M」と表記して「10なる千」を表し、これに従うと、「XI. M」は「11なる千」つまり「1万1千」の数字表現となる)の省略形である「 XI. M. V. 」が、「 Undecim Millia Virginum 」と誤って解釈乃至伝承されて、「1万1千名の乙女たち」などが出てきたと考えられる(カトリック百科事典 による)。 以上の二つとは更に別の説明が存在する。西欧中世にあっては出所不明な遺骨が、殉教者の聖遺物として大量に販売されていたのであり、1万1千という数字の起源はこの中世の状況から出てきたものだとする説である。「聖ウルスラと彼女に従う乙女たち」の話は当時広く知られていた結果、(些か皮肉の入った)この説明では、聖女とその乙女たちの聖遺物と称して、あまりにも多数の遺骨が売られた為、この膨大な数の遺骨を説明するため、1万1千人の処女たちという数字を人々が発明したというものである。(実際のところは、これらの遺骨は、ローマ時代に遡って、教会の墓地に埋葬された人々の遺骸であった)。
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