21か条の要求
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 07:39 UTC 版)
「第一次世界大戦下の日本」の記事における「21か条の要求」の解説
詳細は「対華21ヶ条要求」を参照 青島攻略後の1915年1月18日、大日本帝国は同じ連合国である中華民国の袁世凱政権に14か条の要求と7か条の希望条項を提示した。これは次のような内容であった。 ドイツ帝国が山東省に持っていた権益を大日本帝国が継承すること 関東州の租借期限を延長すること 南満州鉄道の権益期限を延長すること 沿岸部を外国に割譲しないこと 要求に対して中国国内では反対運動が起こったが、日本側は5月7日に最終通告を行い、同9日に袁政権は要求を受け入れた。これにより中国人の民族意識との反日感情が高まり、五四運動を引き起こした。これは蔣介石の北伐との衝突である山東出兵(1927年 - 1928年)に至る。
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