鶴満寺とは? わかりやすく解説

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鶴満寺

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鶴満寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/19 23:09 UTC 版)

鶴満寺
観音堂
所在地 大阪府大阪市北区長柄東1丁目3-12
位置 北緯34度42分38.6秒 東経135度30分58.8秒 / 北緯34.710722度 東経135.516333度 / 34.710722; 135.516333座標: 北緯34度42分38.6秒 東経135度30分58.8秒 / 北緯34.710722度 東経135.516333度 / 34.710722; 135.516333
山号 雲松山
院号 慈祥院
宗旨 天台宗
宗派 天台真盛宗
本尊 阿弥陀如来(府指定有形文化財
創建年 伝・奈良時代
中興年 宝暦3年(1753年
中興 忍鎧
正式名
  • 雲松山慈祥院鶴滿寺
  • 雲松山慈祥院鶴満寺
札所等 新西国三十三箇所第3番
文化財
公式サイト 新西国霊場ホームページ 雲松山鶴満寺
法人番号 2120005000758
鶴満寺
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覚満寺之夕景 (浪花百景)
1800年代。南粋亭芳雪/画

鶴満寺(かくまんじ)は、大阪市北区にある天台真盛宗寺院山号は雲松山。本尊阿弥陀如来。観音堂は新西国三十三箇所第3番札所で本尊は子安観音である。

歴史

寺伝によると、奈良時代[1]大和国で創建されたと伝わる。

その後、伊勢国河内国摂津国南方村を経て[2]寛保3年(1743年)に大坂の豪商上田宗右衛門広久が譲り受けて当地に移し、京都上善寺の僧忍鎧を招いて宝暦3年(1753年)に堂宇を完成させたという[3]。伝・慈覚大師(円仁)作の阿弥陀如来や伝・仏師定朝作の地蔵菩薩が祀られている[3]

観音堂に祀られている子安観音は、霊元法皇の後宮である新大納言お局が、皇子勝の宮(嘉智宮)の出産に際して安産祈願のために刻んで奉納し、忍鎧によって安置されたものという[3]

境内はの名所として知られ、古典落語の「鶴満寺」にもその様子が描かれている[2]

桜の下には各地の巡礼所の観音仏を安置して百体観音と称し崇敬を集めていたが、1885年明治18年)に発生した明治十八年の淀川洪水で流されてしまった[1]

当寺の本堂はもともとは南向きであったが、1985年昭和60年)の道路拡張に際して西向きに変更された[2]

当寺の南隣には黄檗宗の正徳寺があり、向かいには淀川天神社が鎮座している[4]

境内

文化財

重要文化財

大阪府指定有形文化財

大阪市指定有形文化財

前後の札所

新西国三十三箇所
2 太融寺 - 3 鶴満寺 - 4 水間寺

所在地

  • 大阪府大阪市北区長柄東1丁目3-12

アクセス

脚注

出典

参考文献

外部リンク



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