鳩山内閣と政経分離
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 14:14 UTC 版)
「日中国交正常化」の記事における「鳩山内閣と政経分離」の解説
吉田茂の首相辞任後に鳩山一郎が首相に就任して、対共産圏との関係改善を目指して、特に日ソの国交回復に尽力した。そして対中華人民共和国に関しても政経分離を原則に、外交関係はなくても経済関係の拡大を求め、特に石橋湛山通産相は日中貿易拡大を望んでいた。このような鳩山政権の動きに中華人民共和国は注目していた。 1955年4月になると、バンドン会議において高碕達之助と対談した周恩来総理は、「平和共存五原則の基礎の上に中華人民共和国が日本との国交正常化推進を希望する」と表明した。同年5月には日本国際貿易促進協会、日中貿易促進議員連盟と中華人民共和国日本訪問貿易代表団との間で第三次日中民間貿易協定を結んだ。同年12月に中華人民共和国政府内に「対日工作委員会」が設けられて郭沫若主任、廖承志副主任で対日政策の策定、執行に関する責任部局が出来た。翌1956年9月には、中華人民共和国内の日本人の戦犯、抑留者およそ1000人が釈放されて11年ぶりに故国に戻ってきた。 こうした動きには中華人民共和国側に民間交流を積み上げることによって政府レベルの関係強化をめざす狙いがあった。第三次貿易協定の交渉で外交官待遇の通商代表部の設置を求めてきたことで、あくまで政経分離の方針の日本側とのズレが生じていた。しかし日本側はあくまでアメリカが黙認する範囲内での民間交流の拡大であり、鳩山及びその後の石橋政権での対中政策は、東アジアの冷戦の枠組みからはみ出るものではなかった。
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