鳥類の写生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 08:41 UTC 版)
狩野派は江戸幕府の御用絵師となり、世襲によってその画技を伝えた。また多くの門弟も抱え、それら門弟たちの多くも大名家お抱えの絵師となっている。その画技の伝授と習得、そして制作には「粉本」を使った。つまりは写生をせずに師匠である狩野家で用意した絵の手本を模写し、その図様を利用することによってであった。この「粉本」を使って絵を制作したことは狩野派における悪習として非難されることが多い。しかし狩野派は、一切写生をしなかったわけではない。 徳川将軍ならびに各大名家は、武家の行事のひとつとして鷹狩りを行った。鷹狩りの獲物は鴨や鶴などの鳥類であったが、やがて狩りの獲物としてだけではなく、鳥類全体が鑑賞や愛玩の対象とする事が広まり、「鳥屋」という鳥を専門に扱う業者もあらわれるなど、江戸時代は一種の鳥ブームともいうべきものがあった。この鷹狩りの様子や鳥の姿を絵に残して記録するのも狩野派の絵師たちの役目であった。それらは実際の鳥類の姿を写生して描かれたが、この狩野家で制作した鳥類の写生図巻を、さらに弟子たちが模写し「粉本」のひとつとした。そしてこの写生と模写で培われた鳥類の描写は「本画」、すなわち公に用いられる絵に生かされたのである。
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