髪切り丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/02 21:45 UTC 版)
江戸の粋人の出で立ちと言えば、粋な濃い茶系統か鼠色系統の絹物の小紋の衣装一式に本多髷、さりげなく南蛮や唐渡りの名物裂の袋に銀無垢の煙管を携えて、遊郭では静かに酒を飲んで冗談を楽しむという具合の御仁が人気だった。 吉原での客と遊女の関係は端的に言えば女性上位の擬似夫婦である。もっとも、遊女同士での客の取り合いのトラブルを防ぐ目的もあったようだが、客が敵娼(あいかた)以外の遊女と関係を持った場合、敵娼には懲罰を与える権利があった。 その方法といえば、髷を切ってザンバラ髪にしたうえ酷い場合は女物の着物を着せて化粧をさせてさらし者にするというものでそのため遊女の鋏は「髪切り丸」と呼ばれた。 大通りをザンバラ髪で歩いていればすぐに理由を悟られたため遊郭の中には浮気男専門の髪結いがいて、豆本多という小ぶりな髷に結いなおしてくれたという。 この項目は、日本の文化に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 日本・ウィキプロジェクト 日本文化)。 この項目は、ファッションに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル ファッション)。
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