高田実とは? わかりやすく解説

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たかた‐みのる【高田実】

読み方:たかたみのる

[1871〜1916新派俳優東京生まれ川上音二郎一座入り、のち河合武雄喜多村緑郎井上正夫らと新派全盛時代生み出し、「新派団十郎」といわれた。


高田実

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/24 07:12 UTC 版)

たかた みのる
高田 実
本名 同じ
生年月日 (1871-05-08) 1871年5月8日
没年月日 (1916-09-24) 1916年9月24日(45歳没)
出身地 日本東京府(現・東京都千住
職業 俳優舞台俳優
ジャンル 新派
所属劇団 成美団
主な作品
日清戦争
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高田 実(たかた みのる、1871年5月8日明治4年3月19日)- 1916年大正5年)9月24日)は、日本新派俳優である[1][2]

経歴・人物

東京千住の生まれ[3]。初めは鉄道駅員を務めていたが[2][4]、後に俳優に転向し芸能界入りし新派に属した[2]1892年(明治25年)[注釈 1]川上音二郎が創設した一座に入門し[1][2]、初めて舞台に立つ[2]1896年(明治29年)には活動の場を大阪に移り[2]、同派の俳優であった喜多村緑郎らと共に「成美団」を結成した事で[1][2]、一躍有名となった。「角座」や「朝日座」等関西における新派を生み出した[5]

1904年(明治37年)に東京に戻った後は「本郷座」を創設し、同派の座長となる[2]。高田の演技が特徴を持った事により[2]、庶民からは「新派(新演劇)の團十郎」と呼ばれた[1]。また同時期に活躍した喜多村、河合武雄井上正夫らと共に新派における代表的な俳優の一人となった[6]。墓所は台東区金嶺寺と大阪市実相寺にある。

主な出演作品

注:『日清戦争』以外の作品はすべて当たり役である[5]

脚注

注釈

  1. ^ 1891年(明治24年)とする説もある。

出典

  1. ^ a b c d e デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『高田実』- コトバンク
  2. ^ a b c d e f g h i j 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版)『高田実』- コトバンク
  3. ^ 20世紀日本人名事典(日外アソシエーツ)『高田 実』- コトバンク
  4. ^ 百科事典マイペディア平凡社)『高田実』- コトバンク
  5. ^ a b 日本大百科全書小学館)『高田実』- コトバンク
  6. ^ デジタル大辞泉(小学館)『高田実』- コトバンク



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