高倉久田家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/25 19:40 UTC 版)
4代不及斎には二男あり、理由は不明ながら次男の宗悦が半床庵を継嗣した。その後の久田家の継承は表千家の継承の影響を受けて波乱が多い。7代皓々斎宗也が没した際に次男達蔵が残されていたが、前年生まれたばかりのため後見人として関宗厳を養子に迎え8代宗利とした。その後表千家9代了々斎(皓々斎宗也の兄)が没したため、達蔵が表千家10代を継承した。宗利は性行不良で大阪にて客死し、久田家は一時中絶となる。改めて表千家7代如心斎の姻戚である住山家より、住山家8代云々斎楊甫の孫を養子に迎え9代宗与とした。しかし宗与は夭逝し、改めて表千家10代吸江斎の子を養子に迎え10代宗悦とした。宗悦も1895年に40歳で夭逝したため、11代無適斎宗也は表千家に引き取られ再び一時中絶となる。無適斎宗也は1917年に表千家12代惺斎の援助を得て再興し、現在に至る。 高倉久田家歴代代号・諱斎号生没年備考五 宗悦 凉滴斎 1715年-1768年4月26日 不及斎の次男 六 磻翁宗渓 挹泉斎 1742年-1785年7月24日 七 維妙宗也 皓々斎 1767年-1819年11月29日 八 宗利 不詳-1844年6月30日 養子、元は関宗厳と称した 九 一乗宗与 不詳-1862年8月24日 住山楊甫の孫 十 宗悦 玄乗斎 1856年-1895年4月24日 表千家10代吸江斎の子で皓々斎の孫 十一 守一宗也 無適斎 1884年-1946年9月13日 十二 中誠宗也 尋牛斎 1925年-2010年10月22日 十三 宗也 得流斎 1958年-2011年10月13日 当代
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