両替町久田家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/25 19:40 UTC 版)
4代不及斎の長男の宗玄は両替町に移り両替町久田家を起こした。久田流を称して主に東海地方に広まるが、その一方両替町住邸は元治元年(1864年)の兵火により焼失して現在に至る。東海地方には他に尾州久田流があり、大高(現在名古屋市緑区)の下村実栗が6代宗参の弟子の栄甫から久田流を習得した後、独自発案を含めて創流したもの。 両替町久田家歴代代号・諱斎号備考五 宗玄 厚比斎 不及斎の長男 六 宗参 関斎 高倉久田家5代宗悦の子(1765年~1814年) 七 耕甫 春斎 筑田家より養子(1752年~1820年) 八 慶三 三谷宗珍の子 九 宗員 辻川喜右衛門の子 十 無尽宗有 田代宗筌の子で裏千家11代玄々斎の甥 十一 宗円 十二 宗栄
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