両校関係者のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 22:53 UTC 版)
「中京商対明石中延長25回」の記事における「両校関係者のその後」の解説
当試合の翌日、中京商は平安中と決勝戦を戦い、見事に勝って現在まで史上唯一である前人未到の3連覇の偉業を達成した。 中京商と明石中は、この年の秋に開催された第7回明治神宮競技大会野球競技の決勝で対戦、先発は同じく明石中・中田と中京商・吉田。先攻、後攻も同じ。同じ学校同士の、同年3回目の因縁の対決は大観衆を集め、事前の予測通り接戦となり3x-2で中京商が勝利、決勝打を放ったのはまたも大野木であった。 試合に参加した両校選手のうち、明石中の楠本、中田、松下、中京商の鬼頭、神谷、福谷、加藤、花木の8人は、後に戦死した。 勝利を決めるセカンドゴロを放った大野木浜市が、中京商側の選手の最後の生存者となった(2004年7月5日、肺炎のため88歳で死去)。 両校の参加全選手中、最後の生存者は、明石中の敗戦の原因となる判断ミスをした嘉藤栄吉で、2008年6月28日午前2時35分、前立腺癌のため90歳で死去した。 中京商業のウィニングボールは杉浦が保有していたが、杉浦の没後、1988年2月1日に遺族から母校に寄贈され、今も中京大中京高に保管されている。
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