骨食(骨喰藤四郎)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 17:09 UTC 版)
詳細は「骨喰藤四郎」を参照 尊氏は、足利氏重代の薙刀である骨食(ほねかみ)を愛刀としていた。この武具は本阿弥家の鑑定では、鎌倉時代の藤四郎吉光の作とされる。 『梅松論』下に、延元元年/建武3年3月2日(1336年4月13日)の多々良浜の戦いに臨む尊氏の武具について、「将軍其日は筑後入道妙恵が、頼尚を以進上申たりし赤地の錦の御直垂に、唐綾威の御鎧に、御剣二あり。一は御重代の骨食也。重藤の御弓に上矢をさゝる。御馬は黒粕毛、是は宗像の大宮司が昨日進上申たりしなり」とあるのが、足利氏の骨食(骨喰)についての古い記述である。 また、同時代史料である『常徳院殿様江州御動座当時在陣衆着到』(鎌田妙長、長享元年)に、長享元年(1487年)9月12日、第9代将軍足利義尚が六角高頼征伐のため近江国坂本に出陣した際、小者に「御長刀ほねかみと申す御重代をかつ」がせていたとあることから、骨食が薙刀であったこと、尊氏以降は足利将軍家重代の武器として伝えられていたこと、「ほねかみ」と訓まれていたことなどがわかる。 のち大脇差に磨り上げられ、骨喰(ほねばみ)として知られるようになり、大友家・豊臣家・徳川家・大日本帝国政府などの手を経て、大正末期に豊国神社の所有となり、旧国宝(現在の重要文化財)に指定されている。
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