静かなる革命と現代への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 03:45 UTC 版)
「1760年の征服」の記事における「静かなる革命と現代への影響」の解説
詳細は「静かなる革命」を参照 しかし、ケベックは、封建的な制度と、カトリック教会の下での農業社会が続いたため、政治や経済の面では、イギリス系に後れを取ることになった。この歴史的経緯により、新しいナショナリズムが芽生えつつあった。また一方では、社会変革への道を模索することにもつながった。これにより、封建的なデュプレッシ政権の後,1960年にケベック自由党が州政権の座について、ジャン・ルサージによる「静かなる革命」が始まった。経済政策に関しては社会主義的で、教育と福祉とをカトリック教会から奪取(いわゆる世俗化)し、ケベック社会の近代化の原動力となった。一方で、台頭した新しいナショナリズムを推し進めたのが、ケベックの「分離独立」を方針とするケベック党(党首ルネ・レベック)であった。 ケベック党の「独立」への願望は,1980年の住民投票によって否定され、 1985年の州選挙では自由党が勝利して、1995年の2度目の住民投票でも否定された。分離独立は遠のいたかに見えるが、やはり、住民の半数は、ケベックの独立には肯定的なのである。 こういう事実もある。2009年、エイブラハム平原の戦い250周年のイベントとして、この戦いの再現の企画が持ち上がった。その時、ケベック分離・独立主義者たちが反対の姿勢を示したのである。これに対しては、連邦主義者も困惑した。ケベック州首相のジャン・シャレーは、深入りすべきではないと述べ、議論を続けていく姿勢を見せた。また、やはりケベック州政府の収益大臣ジャン=ピエール・ブラックバーンも、これは史実の再現なのに、分離主義者が政治利用していると批判した。ケベック自由党の議員からも、分離主義者を批判する声が出た。結局、この再現は行われなかった。
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