電力会社との合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 00:40 UTC 版)
開業当初より福博電気軌道では筑紫郡堅粕村大字比恵(現・福岡市)に出力240キロワットの火力発電所を設置し、自家発電により電車の運転に必要な電力を得ていた。しかし事業の伸長により間もなく供給力不足となったため、1911年3月、発電所の増設を進める博多電灯との間に電力受給契約を締結した。博多電灯住吉発電所の発生電力を交流から直流に変換し電車用動力に供する変電所は、同年10月同発電所構内に完成している。 電力受給契約の締結に伴う関係の緊密化を背景に福博電気軌道と博多電灯の間には合併に向けた機運が生じ、さらに松永安左エ門の主導により松永や福澤桃介がかかわる佐賀県の電力会社九州電気(旧・広滝水力電気)も加えた3社での合併が具体化された。しかし3社合同は博多電灯・九州電気両社内での意見が一致せず、博多電灯と福博電気軌道の2社で合併することとなり、1911年6月に両社は合併契約を締結する。合併に際しての存続会社は博多電灯で、解散する福博電気軌道の株主に対してその持株1株につき博多電灯の新株1株を交付する、という合併条件であった。 合併は1911年11月2日に成立し、福博電気軌道は解散、博多電灯の社名変更により博多電灯軌道株式会社が成立した。さらに合同から取り残された九州電気も翌1912年(明治45年)になって合併に参加する運びとなり、同年6月、博多電灯軌道と九州電気の合併が成立して九州電灯鉄道株式会社が発足している。九州電灯鉄道による経営に移行した旧福博電気軌道線は「福博電車」と呼ばれた。
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