電信の普及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 06:01 UTC 版)
「サミュエル・モールス」の記事における「電信の普及」の解説
1847年、イスタンブールにてアブデュルメジト1世から電信の特許を授与された。1849年にはアメリカ芸術科学アカデミーのフェローに選ばれた。 1850年代にはコペンハーゲンのトーヴァルセン美術館を訪れ、フレデリク7世から勲章を受章。お礼としてモールスは1831年に描いたベルテル・トーヴァルセンの肖像画を王に贈った。その絵は現在マルグレーテ2世が所有している。 モールスの電信装置は1851年、ヨーロッパでの電信の標準として正式に採用された。この時点でイギリス(および英連邦)だけはクックとホイートストンの方式を採用していた。 1856年にウエスタンユニオン社(Western Union Telegraph)を創設した実業家のシブレーはモールスを招聘。同社は1861年にニューヨーク-サンフランシスコ間の大陸横断電信線を完成させた。 1858年、プエルトリコを端緒として南アメリカでの電信普及に着手。モールスの長女スーザン・ウォーカー・モールス (1821-1885) は、叔父チャールズ・ピカリング・ウォーカーがプエルトリコのグアヤマで経営する農場をよく訪ねていた。そこでデンマーク人のエドワード・リンドと出会って結婚している。 リンドはプエルトリコのアロヨにて農場を購入し、モールスは冬になるとその農場で過ごすようになった。そこでアロヨの市街地にある娘の家と農場を結ぶ2マイルの電信線を敷設。1859年3月1日に開通式が行われた。 モールスがプエルトリコで最初に送った電報は、次の通りである。 "Puerto Rico, beautiful jewel! When you are linked with the other jewels of the Antilles in the necklace of the world's telegraph, yours will not shine less brilliantly in the crown of your Queen!" モールスが Harrison Gray Dyar の業績から電信のアイデアを得たと主張する歴史家もいる。Dyar はモールスが特許を取得する18年も前に電信を発明している。
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