電信による逮捕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/19 04:54 UTC 版)
独特のクエーカーの黒い服を着た男が、サラが死亡する直前に彼女の家を立ち去るのが見られていた。警察は彼のあとをたどって、彼の人相書に一致する人物がスラウ(Slough)で列車に間に合い、ロンドンのパディントン駅に向かっていたことがわかった。 警察はすぐに、新しく設置された電信を使用して、詳しく述べその捕獲を望む電文をパディントンに送った。「彼はクウェイカー(kwaker)の服を着ている」("He is in the garb of a kwaker")電文は書いてあった「足近くまで届くブラウンのコートを着て」("with a brown coat on, which reaches nearly to his feet")。針2本の機器(two-needle Instrument)のアルファベットには「Q」がなかったために、スラウの事務官は「Quaker」という語を「kwa」と綴った。「Kwaker」は最終的に理解されたが、しかし繰り返すよう数回要求したのちようやくのことであった。 列車がパディントンに到着したとき、鉄道警察の巡査部長ウィリアム・ウィリアムズ(William Williams)がプラットフォームからその男(彼は実際にタウェルであった)のあとについていった。彼はシヴィリアンの長いオーバーコートを着ていた。ウィリアムズは彼の後についてニュー・ロード・オムニバスに乗りこんだし、その中でタウェルは彼を車掌と間違え、彼に運賃として6ペンス硬貨を1枚与えた。その後、タウェルはコーヒー居酒屋に行き、後に下宿屋に行った。その間ずっとウィリアムズがそのあとについていった。翌朝、ウィリアムズはロンドン警視庁の警部ウィギンス(Inspector Wiggins)と一緒に戻ってきた。彼らは最終的に近くのコーヒー・ハウスでタウェルを逮捕した。 タウェルの公判で、彼の暗い過去の歴史が明らかにされた。彼の弁護はサー・フィッツロイ・ケリー(Sir Fitzroy Kelly)によってつとめられた。彼はサラ・ハートを死に至らしめた青酸が、リンゴの種子を食べることによって誤って摂取されたと主張しようとした(リンゴの大きな樽が1つ家の中にあった)。この議論のありそうもなさは、この著名な法廷弁護士がその後死ぬまで「アップル・ピップ」ケリー("Apple-pip" Kelly)(「リンゴの種子」ケリー)として知られることにつながった。タウェル自身も、サラが服毒自殺したことを陪審に納得させようとした。 がそれにもかかわらず、タウェルはエイルズベリー・コートハウス(Aylesbury Courthouse)で有罪判決を受け、1845年3月28日にエイルズベリーのマーケット・スクエアで大勢の群衆が見守る中、公の場で絞首刑に処せられた。書かれた自白が看守に渡されたが、しかしけっして公表されず、有罪または無罪についてのさまざまな未確認の噂につながった。
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