難波宗教とは? わかりやすく解説

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難波宗教

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/04 09:04 UTC 版)

 
難波 宗教
時代 鎌倉時代前期 - 中期
生誕 正治2年(1200年[1][2]
死没 弘安5年(1282年[3]
官位 従二位刑部卿[4]
主君 後堀河天皇四条天皇後嵯峨天皇後深草天皇亀山天皇後宇多天皇
氏族 藤原北家難波家[5]
父母 父:難波宗長[5][1]
兄弟 宗教、輔長、忠長[5][6]
教継、教俊[5][7]
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難波 宗教(なんば むねのり)は、鎌倉時代前期から中期の公卿

略歴

蹴鞠の名人としても知られた難波宗長の子として生まれる[5][1]承久の乱後の承久3年(1221年氏爵によって叙爵[8]侍従右少将などを歴任[9][10]寛元4年(1246年後深草天皇が即位すると、殿上人整理のためその資格を除かれている[11]宝治2年(1248年鎌倉に下向していた宗教は、かねてより蹴鞠を好んでいた幕府執権北条時頼の師となり、以後たびたび蹴鞠会を開くなど鎌倉に下向した[1][12][13]。のち刑部卿となり、建長5年(1253年従三位となり公卿に列する。文永5年(1268年従二位に昇叙[14]弘安元年(1278年)出家して辞官し[15]、弘安5年(1282年)薨去[3]

官歴

脚注

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出典

  1. ^ a b c d 『日本人名大辞典』, § 難波宗教.
  2. ^ a b 『公卿補任』, §建長五年.
  3. ^ a b 『史籍集覧』, p. 402.
  4. ^ a b 『公卿補任』, §文永六年.
  5. ^ a b c d e 鈴木 1989.
  6. ^ 『大日本史料』5-2, p. 722.
  7. ^ 『尊卑分脉』, §京極摂政師実公二男家忠公舎弟経実忠教等卿孫.
  8. ^ a b 『大日本史料』5-1, pp. 330–331.
  9. ^ a b 『大日本史料』5-8, p. 468.
  10. ^ a b 『大日本史料』5-19, pp. 194–195.
  11. ^ 『大日本史料』5-19, p. 373.
  12. ^ 『大日本史料』5-26, p. 373.
  13. ^ 『大日本史料』5-27, p. 230.
  14. ^ a b 『公卿補任』, §文永五年.
  15. ^ a b 『公卿補任』, §弘安元年.
  16. ^ 『大日本史料』5-8, pp. 577–579.
  17. ^ 『大日本史料』5-8, pp. 614–623.
  18. ^ 『大日本史料』5-18, pp. 326–327.
  19. ^ 『大日本史料』5-34, p. 11.
  20. ^ 『公卿補任』, §正元二年.

参考文献




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