難民と伝染病
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 14:53 UTC 版)
「ロシア飢饉 (1921年-1922年)」の記事における「難民と伝染病」の解説
A.R.A.の報告によると、飢饉のために、1922年6月までに150万人の人々が食糧を求めて各地へ移動し、難民となった。シベリアを目指した者も、クバンや、ウクライナに南下する者、中央ロシア、モスクワなどに向かう者もいた。飢饉地域にいた時より良い状況に恵まれる者はまれであった。難民は病気も運んだ。1918年-1920年の夏にかけて飢饉とともにチフスが流行し、500万以上の症状が報告された。。その他の伝染病としては、マラリア、回帰熱、腸チフス、天然痘、結核、トラホームペラグラなどがある。感染症2つないし3つ以上に罹患する複合感染症の患者もいた。慢性的な栄養不足による、くる病や壊血病が非常に増えた。また、飢餓浮腫の発症例も多かった。
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