雅麗華
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プロフィール | |
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生年月日 | 1965年6月29日 |
現年齢 | 59歳 |
出身地 | 東京都台東区浅草 |
血液型 | A型 |
公称サイズ(1986時点) | |
身長 / 体重 | 150 cm / ― kg |
スリーサイズ | 78 - 56 - 83 cm |
活動 | |
デビュー | 1985年8月1日 |
ジャンル | ストリップ |
著名な家族 | 斎藤智恵子(養母) |
事務所 | ロック座 |
モデル: テンプレート - カテゴリ |
雅 麗華(みやび れいか、1965年6月29日[1][2][注釈 1] - )は、東京都台東区出身の元ストリッパー[注釈 2]。浅草ロック座所属。
浅草ロック座のトップスターとして活動。3歳から始めた日舞とラスベガス仕込みの洋舞の両方をこなす、ストリッパーのサラブレッド。身長150cm・スリーサイズはB78・W56・H83[5][6]、血液型はA型[3][注釈 3]。
来歴・人物
誕生 - 少女期
台東区浅草のロック座近くの実家で育つ[8]。母親もストリッパーで、父親はロック座の照明係[8]。当人は劇場の楽屋で生まれて楽屋で育ったとも話している[8]。
3歳から始めた日舞を習い始め、小学6年生の時まで続けた[8]。中学生になってからはモダンダンスを始める[9]。当人の養母であった斎藤智恵子によると、「小学生の頃はおとなしい、泣きべその子。中学生になってからは、付き合う仲間はみんな男の子で、ケンカが好きだった。しかし家では遊ぶ友達はいなかった」と話している[1]。
しかしその小学生の頃に母親が当人と妹と父親を残して蒸発、その2年ほど後に父親が亡くなっている[1]。
15歳の時に高校の入学手続きはしたものの、その直後に家出[10]、名古屋市内の喫茶店で17歳まで住み込みで働く[10]など、高校へも行かずに放浪生活を続けた[11]。その後、長野県の上山田温泉で、ロック座の姉妹劇場である当地の劇場の経営者を務めていた、養母となる斎藤の長女に発見され、東京へ戻される[1]。
ストリッパーの道へ
1984年11月から[注釈 4]、ロック座で最初事務員として勤務、経理の勉強をしていた[13]。そして営業を再開したロック座の舞台を見るうちに「こんなきれいな舞台なら踊ってみたい」と思うようになる[13]。その思いに斎藤は「あの子だけは絶対に踊り子にはさせたくなかった」として猛反対するものの、どうしてもやりたいという願いに根負けし、「どうせやるならとことんやれ」と最後には許した[13]。「斎藤のママがあの子(麗華)を可愛がってきたのは、踊り子にさせるためだったのか」と言われるのが悔しいからということで、正式に養女となることがストリッパーになるための条件であった[13]。当時は妹が養護施設におり、妹の学費を稼ぐため、また自分を引き取ってくれた斎藤への恩返しをしたい、との考えもあった[14]。そして1985年8月1日浅草ロック座よりデビュー[6][2]。
舞台では、それまでのストリップの舞台で主流であった白黒ショー、まな板ショー(舞台の上で性行為を見せるショー)が、バブル崩壊と共に飽きられ始めたこともあって、本格的なダンスを見せることを心がける[15]。後輩である千堂あやかによれば、「追っかけ」と呼べるファンも多く、ファン同士で「今日は雅隊が来ている」と噂しているときもあったという[16]。舞台のみならず、テレビ番組や雑誌でも人気を呼ぶ[14]。テレビ出演を通じて人気も向上し、熱烈なファンレターも受け取るようになる[17]。20歳代の頃にはロリコンファンからも支持を受ける[18]。1985年、日本テレビ・よみうりテレビ『11PM』より、第15回『イレブン大賞』を受賞[13][6]。
後にアメリカ・ラスベガスに留学し、ショーダンサーとしての勉強を積む[9]。
1987年には、カナダ・バンクーバーでの海外公演も務める[3]。
23歳のときに結婚して、翌年に長男をもうけるも、31歳で離婚[19]。シングルマザーとなるが、その後も人気を維持し続ける[20]。相談できる相手がそばにいなかったこともあって、プレッシャーにより3回の失踪を経験するものの、結局は復帰しており、「やっぱりロック座からは離れられない」と語っている[20]。
引退、その後
腰痛でダンスが困難になり始めた矢先の2006年8月、階段からの転落で左足を骨折[14][20]。このことを機に、引退を決意する[14]。2007年1月30日・所属先の浅草ロック座の公演を最後に引退。数十人のファンが花束を持って列をなして引退を惜しみ、超満員の引退ステージで、21年間に及ぶストリッパー人生を終える[14]。この引退の模様は、翌日にスポーツ紙に加えて一般紙でも報道される[19][4]。
引退後は日本舞踊を中心とした振付師として、踊り子の振り付けなど後進の指導を行う[15][21]。2010年にはファンとの交流の場所として、浅草・本山東本願寺そばにカラオケパブ「ラウンジ麗華」を開店[21]。2012年には移転して業態を変更[12]、「居ざっく 雅麗華の店」を開店[21](「居ざっく」は居酒屋とスナックの中間の意味[4])。2013年からはダンスチーム「サヴァビアン」のゲストダンサーとして、定期公演にも参加している[20][21]。
評価
3歳のときに初めて斎藤智恵子に逢い、レコードに合わせて踊りを披露しており、藤は後年に当時のその姿を振り返って、「3歳にしてポップスと演歌の踊り方を区別していた」「将来ストリッパーになるんじゃないかと、末恐ろしかった」と語っている[8]。
ストリッパーとしてのデビュー後、1986年当時、同じロック座のダンサーだったカレン・ジュニアは「研究熱心な子」「若い子であれだけ踊れる子は珍しい」と評していたことがある[13][22]。
ロック座の振付担当を務めた役者・コメディアンの小山雄二郎は「踊りは天才的[14]」と評し、写真家の原芳市は「すべてをさらけだし、裸で踊ることの潔さを感じる[14]」「日本舞踊も洋舞も、とにかくうまい[23]」「踊り子の中の踊り子[23]」と絶賛している。ロック座に通い続けている出版プロデューサーの高須基仁も、「ストリッパーとしての踊りは天才的」「浅草ロック座のスーパースター」と呼んでいる[18]。
母がストリッパーであったことから「ヌード界のサラブレッド」との声もある[22][4]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d 佐藤 1986, pp. 60–61
- ^ a b c クロスライン 1985, p. 36
- ^ a b c 新井 1988, p. 159
- ^ a b c d 苫米地 2017, pp. 144–145
- ^ 週刊現代 1985年11月30日号「ストリップ名花ベスト10」235頁
- ^ a b c ベストカメラ 1986, p. 25
- ^ “雅 麗華”. ロック座. 2025年6月14日閲覧。
- ^ a b c d e 佐藤 1987, pp. 146–147
- ^ a b 実話ゲンダイ 1990, pp. 4–5
- ^ a b 新井 1988, p. 157
- ^ 「やっぱり血は争えない親子二代のダンサー誕生 ―ストリップ界のニューアイドル」『SEXY LOOK』第3巻第11号、サン出版、1985年11月、全国書誌番号:00039451。
- ^ a b 野村 2015, p. 60
- ^ a b c d e f 佐藤 1986, p. 62
- ^ a b c d e f g 「浅草の灯よ 六区の芸人 第2部 雅麗華 スター、引き際も潔く」『朝日新聞』朝日新聞社、2007年2月17日、東京地方版、35面。
- ^ a b 羽田 2023, p. 146
- ^ 羽田 2023, p. 148
- ^ 「青山未央、ハニー・ラブ、雅麗華 ストリップ界ニューアイドル3人娘を追っかける中年親衛隊のカブリツキ哀歓」『アサヒ芸能』第40巻第42号、徳間書店、1985年10月24日、179頁、大宅壮一文庫所蔵: 000008095。
- ^ a b 高須基仁 (2012年5月16日). ““浅草ロック座”会長が入院…骨折でリハビリ”. ZAKZAK. 産業経済新聞社. 2025年6月14日閲覧。
- ^ a b “【私の逆境時代】伝説の元ストリッパー・雅麗華 3回失踪、引退後はカラオケパブオープン”. ZAKZAK. 産業経済新聞社. p. 1 (2015年9月4日). 2025年6月14日閲覧。
- ^ a b c d “元ストリッパー雅麗華さんが明かすロック座倒産と失踪騒ぎ”. 日刊ゲンダイDIGITAL. 株式会社日刊現代. p. 3 (2014年12月28日). 2025年6月14日閲覧。
- ^ a b c d “【私の逆境時代】伝説の元ストリッパー・雅麗華 3回失踪、引退後はカラオケパブオープン”. ZAKZAK. 産業経済新聞社. p. 2 (2015年9月4日). 2025年6月14日閲覧。
- ^ a b 佐藤 1987, p. 148
- ^ a b FRIDAY 1992, p. 52
参考文献
- 新井邦男「突撃インタビュー 舞台で踊ることが大好きです」『地上』第42巻第3号、家の光協会、1988年3月1日、156-159頁、大宅壮一文庫所蔵: 300007142。
- クロスライン・ウィル「こういう仕事してるからって遊ばれたくないんです」『スコラ』第4巻第22号、株式会社スコラ、1985年11月14日、36-37頁、大宅壮一文庫所蔵: 200145148。
- 佐藤建「ゆかいなゆかいな英雄たち(28)雅麗華さん ロック座のアイドルはヌード界のサラブレッド」『サンデー毎日』第65巻第5号、毎日新聞社、1986年2月9日、58-62頁、大宅壮一文庫所蔵: 100036709。
- 佐藤建『ゆかいなゆかいな英雄たち』毎日新聞社、1987年2月28日。doi:10.11501/12254160。 ISBN 978-4-620-30558-5。
- 苫米地「俺の夜 記者が自腹で集めた夜遊び情報 363回 浅草ロック座伝説の元ストリッパーに“かぶりつく”夜」『SPA!』第66巻第18号、扶桑社、2017年6月6日、144-145頁、大宅壮一文庫所蔵: 100054044、2025年6月14日閲覧。
- 野村訓市「スナック好き スナックカード2015 最強ママ&マスター16人データ付きカード」『BRUTUS』第36巻第21号、マガジンハウス、2015年11月15日、59-62頁、大宅壮一文庫所蔵: 200066869。
- 羽田翔「60歳からの「令和ストリップ入門」 観劇レポート 軽快な洋楽と複数の踊り子たちによる群舞 女性客も多く昔日のイメージが吹っ飛んだ」『アサヒ芸能』第78巻第32号、徳間書店、2023年9月7日、146-149頁、大宅壮一文庫所蔵: 000074158。
- 「18年撮り続けた原芳市氏が太鼓判 これが影山莉菜を超えるアイドルストリッパー3人だ」『FRIDAY』第9巻第14号、講談社、1992年4月3日、52-53頁、大宅壮一文庫所蔵: 200062138。
- 「華やかな裸衣舞で魅せます 雅麗華」『実話ゲンダイnews』第7巻第2号、日本マガジン社、1990年2月、3-6頁、全国書誌番号: 00041765。
- 「浅草のアイドル イレブン大賞を受賞した浅草『ロック座』の花 雅麗華」『ベストカメラ』第3巻第5号、少年画報社、1986年5月1日、21-25頁、全国書誌番号: 00043830。
外部リンク
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