雅麗華とは? わかりやすく解説

雅麗華

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/20 12:40 UTC 版)

みやび れいか
雅 麗華
プロフィール
生年月日 1965年6月29日
現年齢 59歳
出身地 東京都台東区浅草
血液型 A型
公称サイズ(1986時点)
身長 / 体重 150 cm / kg
スリーサイズ 78 - 56 - 83 cm
活動
デビュー 1985年8月1日
ジャンル ストリップ
著名な家族 斎藤智恵子(養母)
事務所 ロック座
モデル: テンプレート - カテゴリ

雅 麗華(みやび れいか、1965年6月29日[1][2][注釈 1] - )は、東京都台東区出身の元ストリッパー[注釈 2]浅草ロック座所属。

浅草ロック座のトップスターとして活動。3歳から始めた日舞ラスベガス仕込みの洋舞の両方をこなす、ストリッパーのサラブレッド身長150cm・スリーサイズはB78・W56・H83[5][6]血液型A型[3][注釈 3]

来歴・人物

誕生 - 少女期

台東区浅草のロック座近くの実家で育つ[8]。母親もストリッパーで、父親はロック座の照明係[8]。当人は劇場の楽屋で生まれて楽屋で育ったとも話している[8]

3歳から始めた日舞を習い始め、小学6年生の時まで続けた[8]。中学生になってからはモダンダンスを始める[9]。当人の養母であった斎藤智恵子によると、「小学生の頃はおとなしい、泣きべその子。中学生になってからは、付き合う仲間はみんな男の子で、ケンカが好きだった。しかし家では遊ぶ友達はいなかった」と話している[1]

しかしその小学生の頃に母親が当人と妹と父親を残して蒸発、その2年ほど後に父親が亡くなっている[1]

15歳の時に高校の入学手続きはしたものの、その直後に家出[10]名古屋市内の喫茶店で17歳まで住み込みで働く[10]など、高校へも行かずに放浪生活を続けた[11]。その後、長野県上山田温泉で、ロック座の姉妹劇場である当地の劇場の経営者を務めていた、養母となる斎藤の長女に発見され、東京へ戻される[1]

ストリッパーの道へ

1984年11月から[注釈 4]、ロック座で最初事務員として勤務、経理の勉強をしていた[13]。そして営業を再開したロック座の舞台を見るうちに「こんなきれいな舞台なら踊ってみたい」と思うようになる[13]。その思いに斎藤は「あの子だけは絶対に踊り子にはさせたくなかった」として猛反対するものの、どうしてもやりたいという願いに根負けし、「どうせやるならとことんやれ」と最後には許した[13]。「斎藤のママがあの子(麗華)を可愛がってきたのは、踊り子にさせるためだったのか」と言われるのが悔しいからということで、正式に養女となることがストリッパーになるための条件であった[13]。当時は妹が養護施設におり、妹の学費を稼ぐため、また自分を引き取ってくれた斎藤への恩返しをしたい、との考えもあった[14]。そして1985年8月1日浅草ロック座よりデビュー[6][2]

舞台では、それまでのストリップの舞台で主流であった白黒ショー、まな板ショー(舞台の上で性行為を見せるショー)が、バブル崩壊と共に飽きられ始めたこともあって、本格的なダンスを見せることを心がける[15]。後輩である千堂あやかによれば、「追っかけ」と呼べるファンも多く、ファン同士で「今日は雅隊が来ている」と噂しているときもあったという[16]。舞台のみならず、テレビ番組や雑誌でも人気を呼ぶ[14]。テレビ出演を通じて人気も向上し、熱烈なファンレターも受け取るようになる[17]。20歳代の頃にはロリコンファンからも支持を受ける[18]。1985年、日本テレビよみうりテレビ11PM』より、第15回『イレブン大賞』を受賞[13][6]

後にアメリカラスベガス留学し、ショーダンサーとしての勉強を積む[9]

1987年には、カナダバンクーバーでの海外公演も務める[3]

23歳のときに結婚して、翌年に長男をもうけるも、31歳で離婚[19]。シングルマザーとなるが、その後も人気を維持し続ける[20]。相談できる相手がそばにいなかったこともあって、プレッシャーにより3回の失踪を経験するものの、結局は復帰しており、「やっぱりロック座からは離れられない」と語っている[20]

引退、その後

腰痛でダンスが困難になり始めた矢先の2006年8月、階段からの転落で左足を骨折[14][20]。このことを機に、引退を決意する[14]2007年1月30日・所属先の浅草ロック座の公演を最後に引退。数十人のファンが花束を持って列をなして引退を惜しみ、超満員の引退ステージで、21年間に及ぶストリッパー人生を終える[14]。この引退の模様は、翌日にスポーツ紙に加えて一般紙でも報道される[19][4]

引退後は日本舞踊を中心とした振付師として、踊り子の振り付けなど後進の指導を行う[15][21]。2010年にはファンとの交流の場所として、浅草・本山東本願寺そばにカラオケパブ「ラウンジ麗華」を開店[21]。2012年には移転して業態を変更[12]、「居ざっく 雅麗華の店」を開店[21](「居ざっく」は居酒屋とスナックの中間の意味[4])。2013年からはダンスチーム「サヴァビアン」のゲストダンサーとして、定期公演にも参加している[20][21]

評価

3歳のときに初めて斎藤智恵子に逢い、レコードに合わせて踊りを披露しており、藤は後年に当時のその姿を振り返って、「3歳にしてポップスと演歌の踊り方を区別していた」「将来ストリッパーになるんじゃないかと、末恐ろしかった」と語っている[8]

ストリッパーとしてのデビュー後、1986年当時、同じロック座のダンサーだったカレン・ジュニアは「研究熱心な子」「若い子であれだけ踊れる子は珍しい」と評していたことがある[13][22]

ロック座の振付担当を務めた役者・コメディアンの小山雄二郎は「踊りは天才的[14]」と評し、写真家の原芳市は「すべてをさらけだし、裸で踊ることの潔さを感じる[14]」「日本舞踊も洋舞も、とにかくうまい[23]」「踊り子の中の踊り子[23]」と絶賛している。ロック座に通い続けている出版プロデューサーの高須基仁も、「ストリッパーとしての踊りは天才的」「浅草ロック座のスーパースター」と呼んでいる[18]

母がストリッパーであったことから「ヌード界のサラブレッド」との声もある[22][4]

脚注

注釈

  1. ^ 『地上』(家の光協会)1988年3月号内のインタビュー記事においては、生年月日が「1967年6月29日」となっている[3]
  2. ^ 両親の逃避行先である長野県のストリップ劇場で誕生した、とする資料もある[4]
  3. ^ 血液型はB型とする資料もある[2][7]
  4. ^ 1983年にロック座に事務員として入社、とする資料もある[12]

出典

  1. ^ a b c d 佐藤 1986, pp. 60–61
  2. ^ a b c クロスライン 1985, p. 36
  3. ^ a b c 新井 1988, p. 159
  4. ^ a b c d 苫米地 2017, pp. 144–145
  5. ^ 週刊現代 1985年11月30日号「ストリップ名花ベスト10」235頁
  6. ^ a b c ベストカメラ 1986, p. 25
  7. ^ 雅 麗華”. ロック座. 2025年6月14日閲覧。
  8. ^ a b c d e 佐藤 1987, pp. 146–147
  9. ^ a b 実話ゲンダイ 1990, pp. 4–5
  10. ^ a b 新井 1988, p. 157
  11. ^ 「やっぱり血は争えない親子二代のダンサー誕生 ―ストリップ界のニューアイドル」『SEXY LOOK』第3巻第11号、サン出版、1985年11月、全国書誌番号:00039451 
  12. ^ a b 野村 2015, p. 60
  13. ^ a b c d e f 佐藤 1986, p. 62
  14. ^ a b c d e f g 「浅草の灯よ 六区の芸人 第2部 雅麗華 スター、引き際も潔く」『朝日新聞朝日新聞社、2007年2月17日、東京地方版、35面。
  15. ^ a b 羽田 2023, p. 146
  16. ^ 羽田 2023, p. 148
  17. ^ 「青山未央、ハニー・ラブ、雅麗華 ストリップ界ニューアイドル3人娘を追っかける中年親衛隊のカブリツキ哀歓」『アサヒ芸能』第40巻第42号、徳間書店、1985年10月24日、179頁、大宅壮一文庫所蔵: 000008095 
  18. ^ a b 高須基仁 (2012年5月16日). ““浅草ロック座”会長が入院…骨折でリハビリ”. ZAKZAK. 産業経済新聞社. 2025年6月14日閲覧。
  19. ^ a b 【私の逆境時代】伝説の元ストリッパー・雅麗華 3回失踪、引退後はカラオケパブオープン”. ZAKZAK. 産業経済新聞社. p. 1 (2015年9月4日). 2025年6月14日閲覧。
  20. ^ a b c d 元ストリッパー雅麗華さんが明かすロック座倒産と失踪騒ぎ”. 日刊ゲンダイDIGITAL. 株式会社日刊現代. p. 3 (2014年12月28日). 2025年6月14日閲覧。
  21. ^ a b c d 【私の逆境時代】伝説の元ストリッパー・雅麗華 3回失踪、引退後はカラオケパブオープン”. ZAKZAK. 産業経済新聞社. p. 2 (2015年9月4日). 2025年6月14日閲覧。
  22. ^ a b 佐藤 1987, p. 148
  23. ^ a b FRIDAY 1992, p. 52

参考文献

外部リンク





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