陪審制の停止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 09:19 UTC 版)
多額の陪審費用が被告人の負担とされることが多かったこと、陪審を選択した場合は控訴によって事実認定を争うことはできなかったことなどから、被告人が法定陪審事件で陪審を辞退したり、請求陪審事件でいったん陪審を請求しても請求を取り下げる例が多かった。裁判官が陪審員の答申に拘束されないこと(陪審の更新)も、陪審制の意義を骨抜きにするものであった。1928年(昭和3年)から1942年(昭和17年)までの間に、法定陪審事件2万5097件のうち、実際に陪審に付されたのは448件、請求陪審事件で請求があった43件のうち、実際に陪審に付されたのは12件であった。1941年(昭和16年)と1942年(昭和17年)には、陪審審理は1件ずつしか行われなかった。 また、第二次世界大戦が激化するにつれ、市町村では徴兵業務の負担が重くなり、陪審員名簿の作成が難しくなってきたことから、市町村から陪審制停止の要望が出された。こうして、1943年(昭和18年)4月1日に陪審法ノ停止ニ関スル法律によって陪審制が停止されることになった。同法は附則3項において「今次ノ戦争終了後再施行スル」と規定していたが、再施行されないまま今日に至っている。 この制度によって484件が陪審に付され(うち24件は陪審の更新によるもので、実質事件数は460件)、うち81件に無罪判決が出た。
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