関脇昇進~新・相撲の神様
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 07:59 UTC 版)
「幡瀬川邦七郎」の記事における「関脇昇進~新・相撲の神様」の解説
体重が僅か80kg台の軽量でありながら腰が小さく非力だったが、肩幅が広いために柔軟な体格で幕内上位で活躍した。当初は掛け投げを得意としていたが、序二段時代に足を負傷したことで平蜘蛛仕切りで立ち、肘と手首を用いて外へ突き上げるように突っ張り、いなしなどを交えて相手を左右に揺さぶってから千変万化の取り口を見せた。特に出し投げからの小股掬いの切れ味は抜群で、十分に警戒していてもいつ技を仕掛けられたのか判らないほどに鮮やかだった。 これによって「相撲の神様」の異名を得て男女ノ川登三には大関時代に3連勝(通算3勝3敗)と強豪キラーぶりを発揮した。特に、新しい「相撲の神様」誕生のきっかけとなった大ノ里萬助戦では通算6勝3敗と大きく勝ち越しており、大勝ちこそ無かったものの上位陣を苦しめ、1932年2月場所では春秋園事件の繰り上げでありながら関脇へ昇進した。元々稽古熱心でありながら心臓病を患って以降は四股すら踏まず、いつも本場所の一番相撲に懸けていたが、それでも勝利したことで「神様」の名を高めたとも言える。
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