関東の戦い・会津戦争
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慶応4年4月11日(1868年5月3日)の江戸城引渡しの際、隊長を務めていた伝習隊第二大隊約500名を率いて墨田・報恩寺に脱走。大鳥圭介に従い、旧幕府脱走兵が集結していた国府台へ移動、土方歳三・立見鑑三郎らと合流する。 伝習隊第二大隊は大鳥軍の直率部隊として北上し、小山・宇都宮などで戦闘に参加する。4月22-23日の新政府軍による宇都宮城奪回戦で背中に銃創を負う。宇都宮での敗北後、日光を経て会津へと向かった。会津戦争では母成峠を守備する。8月21日の母成峠の戦いに敗れた後、米沢を目指すが、恭順に転じていた米沢藩内に入れず、仙台で榎本艦隊に合流、蝦夷地に向かう。
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