開業直後の延伸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 10:01 UTC 版)
「ロンドン・ブライトン・アンド・サウス・コースト鉄道」の記事における「開業直後の延伸」の解説
1847年当時、ポーツマスの海軍造船所にはロンドンからフェアハム駅(英語版)経由のロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道(英語版)(L&SWR)ルートと、ハヴァント駅(英語版)経由の旧ブライトン・アンド・チチェスター鉄道(英語版)ルートという建設中の2路線が近くまで延伸してきていた。そのため両者はこの年、本土のコーシャム駅(英語版)からポートシー島(英語版)へ乗り入れ、ポーツマス・アンド・サウスシー駅(英語版)まで至る路線を共有する契約を結んだ。しかし、この計画に海軍本部が反対したために造船所へ向けた延伸は中止され、LB&SCRは同年6月にチチェスター - ポーツマス間、L&SWRは翌年10月にフェアハム - ポーツマス間を開業させた。 1853年、ダイレクト・ポーツマス鉄道(英語版)は後にL&SWRとLB&SCRに売却するため、ゴダルミング(英語版)からハヴァントまでの路線建設許可を獲得した。この計画ではポーツマスへのより直接的なアクセスが期待されたが、ハヴァントからポーツシーまでの5マイル(8km)にわたりLB&SCRと相互乗り入れを行うことになっていた。LB&SCRはこの計画に反対したが、L&SWRは新会社と交渉し1858年12月に新ルートでの列車運行を開始した。これに対してLB&SCRは自社路線部分の使用を阻止しようとし、「ハヴァント紛争」と呼ばれる法廷闘争となった。その後1859年に判決が下され、1860年と62年の協定により両社の関係性が正式に定められた。 またチェアマンのレイングは、1855年7月にブライトン本線のスリー・ブリッジズからイースト・グリンステッドへの支線(スリー・ブリッジズ・タンブリッジ・ウェルズ線(英語版))建設を承認した。
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