開業後、廃止の危機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/09 01:39 UTC 版)
「ツィラータール鉄道」の記事における「開業後、廃止の危機」の解説
開業後の経営は順調で、1921年には電化計画が持ち上がったものの中止となり、代わりにオーストリアの軽便鉄道で初のディーゼル機関車導入が実現した。また1928年以降はトゥクスにあったマグネシウム鉱山からの鉱石輸送を開始し、1976年に鉱山が閉鎖するまで続いた。 だが1964年に沿線の道路建設に併せて鉄道を廃止するという動きが持ち上がり、長期に渡って議論が続いた。そんな中、翌1965年にザルツブルクのタウエルン電力会社(ドイツ語版)が沿線に水力発電所を建設することになり、その資材輸送をツィラータール鉄道が担当する事となった。新型機関車の導入や標準軌から貨車を直通させるためのロールシェメルの導入、列車無線の採用など様々な施策を実行し、発電所完成までに325,000tものセメントを輸送した功績により、大量輸送機関としての鉄道の価値が見直され、ツィラータール鉄道の存続が決定した。 3号機関車が牽引する旅客列車(1967年撮影)
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