閉鎖と存続
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 10:12 UTC 版)
1953年7月27日の朝鮮戦争の休戦にともない各慰安所は1954年3月に閉鎖され、翌1954年に「正規」の「慰安隊」はなくなったが、事実上の慰安隊が私娼の形で存続し費用は「厚生費」などの名目で支出されていた。 軍隊慰安所は公式には解体されねばならなかったが、韓国政府とアメリカ政府は存続の協議のため「性病対策委員会」を設置した。1957年の会議では米経済調整官室(Office of Economic Coodinator, OEC)側は、決定を韓国側で行ってほしいと韓国側に要請し、ソウル、仁川、釜山に接客業所やダンスホールを指定し設置した。こうして洋公主は、国家管理によって慰安婦と「米軍同居女」の二つに分類されるようになり、東豆川や議政府という基地村が栄えていった。 1955年のソウル市警察局によると米軍相手の性売買女性は61,833名であった。
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