門付万歳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 01:33 UTC 版)
もともと万歳は、家々の門や玄関先あたりで舞う「門付け(かどつけ)」が普通であったためこう呼ばれる。しかし、不特定多数の家々を門付けしてまわる万歳師以外に、檀那場(だんなば)といわれる特定のお得意先をまわり、座敷で万歳を披露する万歳師もいた。 いわゆる檀那場万歳・座敷万歳は門付けの万歳に比べ、芸を演じるための座敷(舞台)が確保されている事で、人数を増やすなどすこし大がかりな万歳が演じられた。これは檀那場を確保するために、万歳の内容にも創意工夫がなされるようになったことも一因といえる。このことが御殿万歳や三曲万歳へとつながっていくのである。 五万歳 初期のものは法華経をもとにした法華経万歳であったため、後にそれぞれの家の宗派に合わせた四つの万歳が作られた。厳格な作法にのっとり神棚や仏壇、床の間に向かって演じられる儀式的なものである。地割万歳が最も後代の作とみられる。 法華経万歳 発祥地とされる長母寺の臨済宗や天台宗、日蓮宗の家で行う。 六条万歳 浄土真宗の家で行うもので、宗派の開祖である親鸞の一代記や、本願寺の御堂のすばらしさを謡った万歳。本願寺のある通りが六条であったことからこの名が付く。 御城万歳 江戸の屋敷などで行う万歳で、江戸城や大名屋敷などの繁栄の様子やすばらしさを謡う。 神力万歳 名古屋の熱田神宮の造営の様子を謡う万歳で、神道の家で行う。 地割万歳 屋敷を建てるときに祝う万歳。演じる時と場所を選ばない。 これら五万歳が尾張万歳の基本だが、家の人からは背を向けた形で演じられる上に、内容が厳格で作法を重んじ面白さに欠けるという面があった。そのため、五万歳を謡った後に雰囲気を和らげるために、家の人たちに向かって演じる面白さを重視した万歳も作られ、余興として演じられた。これらを以下に記す。 福倉持倉(ふくらもくら) 「なかなかなか…」と歌い出すところから、なかなか万歳とも呼ばれる。地割万歳以外の万歳を謡った後に演じられた。 入り込み万歳 江戸時代中期の宝暦年間(1751年 - 1764年)に考え出された、各地の特産物の名前を入れて祝う万歳で地割万歳に続いて歌われる。お茶やお酒などの特産物から「お茶ばやし」「お酒ばやし」などと呼ばれた。
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