長興寺_(豊田市)とは? わかりやすく解説

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長興寺 (豊田市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/04 13:28 UTC 版)

長興寺
本堂(2019年4月)
所在地 愛知県豊田市長興寺1-29
位置 北緯35度4分25.48秒 東経137度10分5.14秒 / 北緯35.0737444度 東経137.1680944度 / 35.0737444; 137.1680944
山号 集雲山
宗旨 臨済宗
宗派 東福寺派
寺格 別格寺院
本尊 十一面観音
創建年 建武2年(1335年
開基 太陽義冲
(招聘は衣城主 中条秀長)
永禄10年(1567年焼失)
中興年 天正11年(1583年
中興 余語正勝(衣城代)
正式名 長興禅寺
文化財 絹本著色仏涅槃図、紙本著色織田信長像、絹本著色無為昭元像(重要文化財)
法人番号 8180305005685
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長興寺(ちょうこうじ)は、愛知県豊田市長興寺1-29にある臨済宗東福寺派の別格寺院

山号は集雲山(しゅううんざん)。本尊は十一面観音。開山は太陽義冲。

歴史

建武2年(1335年三河国衣(ころも)城主[1]中条秀長が菩提寺として太陽義冲を招聘して創建。当時の寺域は南北5丁余り、東西4丁余り、18坊に及ぶ塔頭が建ち並び、地域最大の寺院であった。

室町時代中期、応仁の乱1468年 - 1477年)後、中條氏の衰退と共に衰退。永禄10年(1567年)には、余りの偉容に城と間違えた織田信長の兵火によって焼失した。天正11年(1583年) 信長の家臣で衣城代の余語正勝が、再興した長興寺で信長の一周忌法要を行った。その際に、日本の歴史教科書にも掲載されている狩野元秀筆の「紙本著色織田信長像」[2]重要文化財)が寄進された。

元禄年間(1688年 - 1704年本堂庫裏を重建。現本堂は昭和50年代 鉄筋コンクリート造で再建されたものである。

長興寺村

長興寺を中心に住民が増加し、寺院への供物を受け持つ地域を東西に分け、「長興寺字供膳(くぜ)寺」という地名が設定された。これが今の地名が寺の地名と同じになった起こりである。

江戸時代には長興寺村となり、挙母藩(2万石)の領地の一部であった。城下ではなく、農村集落で約400石ほどであった。

明治時代中頃に、周囲の村と合併して根川村となり、更に1906年明治39年)、城下と合併して挙母町となった。

文化財

紙本著色織田信長
狩野元秀筆

重要文化財(国指定)

  • 絹本著色仏涅槃図:応永廿八年幹縁比丘義睦とあり(応永28年は1421年[3]
  • 紙本著色織田信長像:狩野元秀[4]
  • 絹本著色無為昭元像[5]

愛知県指定文化財

  • 絹本著色補陀観音像[6]
  • 絹本墨画三十三観音像[7]
  • 絹本著色太陽禅師像[8]

豊田市指定文化財

  • 絹本墨絵釈迦像[9]
  • 絹本著色不動尊像[9]
  • 絹本著色多聞天像[9]
  • 雲版[9]

民話(昔ばなし)

長興寺には、鐘泥棒の昔ばなし「長興寺の鐘」のがある。

泥棒に盗まれた鐘が「長興寺恋しやポンワンワン、返しておくれんポンワンワン」と鳴ったと云う民話が語り継がれている。

詳しくは、外部リンクを参照。

交通アクセス

ギャラリー

脚注

  1. ^ 「衣」を「挙母」と表記するようになるのは、天和元年(1681年)、本多家が藩主となってからである。
  2. ^ 信長の戒名は「総見院殿贈大相国一品泰巖尊儀」であるが、これには「天徳院殿一品前右相府泰岩浄安大禅定門」と書かれている。
  3. ^ 絹本著色仏涅槃図”. 愛知県. 2013年6月4日閲覧。
  4. ^ 紙本著色織田信長像〈狩野元秀筆〉”. 愛知県. 2013年6月4日閲覧。
  5. ^ 絹本著色無為昭元像”. 愛知県. 2013年6月4日閲覧。
  6. ^ 絹本著色補陀観音像”. 愛知県. 2013年6月4日閲覧。
  7. ^ 絹本墨画三十三観音像”. 愛知県. 2013年6月4日閲覧。
  8. ^ 絹本著色太陽禅師像”. 愛知県. 2013年6月4日閲覧。
  9. ^ a b c d 指定・登録文化財一覧”. 豊田市. 2013年6月4日閲覧。

関連項目

外部リンク




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