長崎太郎の奔走
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 05:07 UTC 版)
菊池はその後のある夜、クリスチャンの長崎を訪ねて「他言しない」条件で退学の経緯と事件の真相を告げた。真実を長崎に語った菊池は、「俺は人間のうち誰か一人でよいから此の事実を知つて置いてもらい度いのだ。その一人に君を選んだ。総ての人が俺を泥棒と呼んでも、俺が泥棒でない事を君にだけには知つて置いてもらい度い」として、最後に「君の知る通り俺は佐野を愛して居る。その為めに俺は佐野の犠牲になるのだ」と告げたという。 事実を知った長崎は苦悶し、再び佐野に聞くが、佐野は菊池がやったと突っぱねるだけだった。 菊池君の犠牲が彼の為めに何の益にも立つて居ない事がよくわかつた。私は深く思いなやんだ。二人は私の親しい友である。私は其の誰をも憎まぬ。何とかして両君を生かす道はないものだろうか。 — 長崎太郎「吾が友菊池寛」 長崎は意を決し、菊池と佐野の救済を求めて校長の新渡戸稲造に相談した。新渡戸からは「私にまかせてもらいたい。適当の処置を講じようから」という返答を得たが、校長を退任することがすでに決まっていたため、後任の校長となった瀬戸虎記にも長崎は事情を説明し、「善処する」という約束を取り付けた。
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