長久寺 (土岐市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/05 01:15 UTC 版)
長久寺 | |
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所在地 | 岐阜県土岐市駄知町1602 |
位置 | 北緯35度19分39.65秒 東経137度13分52.25秒 / 北緯35.3276806度 東経137.2311806度座標: 北緯35度19分39.65秒 東経137度13分52.25秒 / 北緯35.3276806度 東経137.2311806度 |
山号 | 天堂山 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 寛正2年(1461年) |
開山 | 蘭室 |
開基 | 真光 |
中興年 | 寛文6年(1666年) |
中興 | 黙叟 |
札所等 | 中部四十九薬師霊場三十三番 |
長久寺(ちょうきゅうじ)は岐阜県土岐市駄知町にある阿弥陀如来を本尊とする臨済宗妙心寺派(東海門派 桂春院下)の寺院。山号は天堂山。
歴史
寛正2年(1461年)、三州長興寺二世の蘭室を開山に迎えて宗連眞光[1]が開基した。創建時は臨済宗東福寺派に属していた。
宝永7年(1710年)妻木町崇禅寺四世の物見の弟子で、土岐口の廣徳寺二世の黙叟が中興を果たし、当時の庄屋であった籠橋三右衛門と塚本六右衛門の3名の連署により京都妙心寺の塔頭の桂春院に出願して妙臨済宗妙心寺派に転派した。
天保5年(1834年)十ニ世の常福密應の代に再び火災で焼失し、天保6年(1835年)に庫裡、天保8年(1837年)に本堂を再建。
長久寺は薬師如来を勧請して本堂の脇間に祀っており、中部四十九薬師霊場の三十三番札所となっている。
駄知薬師堂
境外にある駄知薬師堂は、長久寺が管理している。
元は大峰山の山頂にあり、火災に遭った際に本尊の薬師如来が光を放ち、尾張熱田の海を照らして魚が獲れなくなったという。
そのため熱田の漁民が光を頼りに焼け跡から薬師如来を発見し、現在の薬師堂に改めて祀ったという伝説がある[2]
毎年、旧十月十一日に例大祭が行われる。また師走の冬至に催される弘法大師の縁日には東濃各地から多くの善男善女の参詣がある。
参考文献
- 『中部四十九薬師巡礼』 p158~p161 中部四十九薬師霊場会 冨永航平 朱鷺書房 1999年
- 『土岐市史 (江戸時代~幕末)』 第十五編 江戸時代の宗教 第四章 徳川幕府の神道政策 (九)駄知町 山 盛久寺[3] p377 土岐市史編纂委員会 1971年
- 『駄知町畧誌』 ホ、長久寺 p135~p136 岐阜縣土岐郡駄知町役場 昭和十年
脚注
- 長久寺 (土岐市)のページへのリンク