鎌八幡宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 05:26 UTC 版)
概要 祭神:誉田別大神 元は讃岐国多度郡屏風浦(現、香川県仲多度郡多度津町)に鎮座する熊手八幡宮から、弘法大師が高野山に勧請したと伝わる。勧請元の熊手八幡宮は弘法大師が自身の産土神としていた。その由縁は、弘法大師の母、玉依御前がその地の産土神である熊手八幡宮に子宝授与を祈願し弘法大師を身ごもった、あるいは、玉依御前が大師を身ごもられた時、安産祈願のために参拝したなどと伝承されている。明治維新後の神仏分離のおりに、兄井村(現、和歌山県伊都郡かつらぎ町大字兄井)へ遷座し鎌八幡宮(以後、「元宮の鎌八幡宮」と表記する)として祀られ、1909年(明治42年)に丹生酒殿神社に合祀され摂社、鎌八幡宮として祀られた。無病息災、子宝や安産祈願、受験等、諸々の願かけの御利益があるとして広く信仰され、昔は大和(奈良県)、河内(大阪府)の信者も多かったと伝えられている。丹生酒殿神社参道の二の鳥居は、元宮の鎌八幡宮から移されたと考えられ、合祀時に元宮の鎌八幡宮御神木に奉献(刺さっていた)されていた鎌を二の鳥居下に埋めたと伝わる。また摂社鎌八幡宮御神木前の石鳥居も、合祀時に元宮の鎌八幡宮から移されたもので、柱後方に「文化六巳年建立」「金光院真尊謙上」の銘がある。金光院は高野山一心谷にある行人方の格式ある寺である。
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