鍋島光茂の指示書
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鍋島焼の歴史を語る際にしばしば引き合いに出される史料として、鍋島宗家に伝来した『有田皿山代官江相渡手頭写』(ありたさらやまだいかんへあいわたしてがしらうつし)という文書がある。これは1693年(元禄6年)、2代藩主鍋島光茂が皿山代官に与えた手頭(指示書)である。現存する文書はその写しであるが、盛期鍋島焼に関わる数少ない公的史料として重視されている。この『手頭』は近年皿山(藩窯)の活動が低調であるとして、以下のように厳しい注文をつけており、藩の皿山に対する高い関心が伺われる。 近年、皿山の製品が「毎年同じものにて珍しからず候」、つまり作風がマンネリ化しているので「当世に逢い候やう」、もっと現代風の製品を作るように求めている。 最近、製品の納期が遅れ、「間に合はず緩かせのやうに相成る儀」が目立つので、そのようなことがないよう戒めている。 「脇山の諸細工人大河内本細工所へみだりに出入致さざる様」、つまり伊万里焼の他の窯の職人たちが大川内の藩窯にみだりに立ち入らないように求めている。 他の窯の製品でも斬新なデザインのものがあれば、これを取り入れるように指示している。 献上用の製品の余りものや、不出来の製品は、藩庁の年寄や進物役と相談の上、割り捨てるよう指示している。 以上のように、佐賀藩としては藩窯の製品の質を常に高く保ち、不良品を世に出さないことを方針とし、技術の漏洩を防ぐため、藩内の他窯の職人といえどもみだりに藩窯に出入りすることを禁じていたことが分かる。
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