錦町の校舎(1894-1929)
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「鳥羽市立鳥羽小学校」の記事における「錦町の校舎(1894-1929)」の解説
1894年(明治27年)11月、錦町(現・鳥羽三丁目)に敷地面積948坪(≒3,134 m2)、建築面積490坪(≒1,620 m2)の新校舎が落成し、鳥羽尋常小学校はそこへ移転した。この時、組合第一高等小学校も同じ敷地内に移転した。1896年(明治29年)、答志郡と英虞郡が合併して志摩郡が発足したため、組合第一高等小学校は志摩郡組合立第一高等小学校に改称した。翌1897年(明治30年)4月、第一高等小学校は女子児童を隣接する旧鳥羽町役場庁舎へ移した。 1901年(明治34年)8月、鳥羽尋常小学校は2階建ての校舎を増築し、校長室・応接室・唱歌教室が新設され、1905年(明治38年)3月、校舎を共有していた志摩郡組合立第一高等小学校を廃校にして鳥羽尋常小学校に高等科を開設、鳥羽尋常高等小学校に改称した。1908年(明治41年)4月には堅神尋常小学校(1875年〔明治8年〕9月開校)を統合して堅神分校に改組、1・2年生が通学する分校とした。 1916年(大正5年)1月、校歌を制定し、1922年(大正11年)10月に新校舎を増築、1926年(大正15年)に青年訓練所を併設した。この間、校舎の老朽化と教室不足が課題となり、新校舎の建設が議論された。
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