鉄道自警村成立までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/03 18:02 UTC 版)
「鉄道自警村」の記事における「鉄道自警村成立までの経緯」の解説
満州国建国当初は、政治的抗日軍(共産匪と呼ばれた)が17万人、一般匪賊が4万人いたとされた。1933年(昭和8年)頃には計7万人くらいといわれていたが、満州の鉄道は、しばしその襲撃に遭うことがあった。列車妨害を少しでも予防するために、鉄道線路の両側500メートルには高粱(コーリャン)、玉蜀黍(トウモロコシ)など背の高い作物の作付けは禁止されていた。しかし、このような措置では、鉄道警備には不十分であり、満鉄のみならず、関東軍も腐心していた。 鉄道防衛のために参考とされたのが、北海道屯田兵である。1875年(明治8年)から25年の間に、札幌近郊と旭川その他に、37か村、7,337戸、39,911人が入植してし、北海道主要地警備と士族救済という二つの目的を達成させようとしたものである。 満鉄は、大正初めから独自の植民事業を行っていたがいずれも失敗に帰し、その理由は移民に対する経済的援助の不足であった。かなりの経済的援助がなければ移民は定着しない。そこで満鉄は、北海道屯田兵の手厚い助成を参考として、経済的裏付けのある自警村移民事業を考案したのである。
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