金融機関への転換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 18:24 UTC 版)
「リーマン・ブラザーズ」の記事における「金融機関への転換」の解説
1887年にはニューヨーク証券取引所の会員になる。1899年には、同社初となる社債の引き受け(International Steam Pump Company)を行った。創業者エマニュエルの息子で2代目社長のフィリップは、ゴールドマン・サックス(GS)との提携を進め、GSとともに20年間で100社以上の社債を引き受けた。 フィリップは1925年に退任し、イェール大学卒の息子・ロバートが跡を継いだ。世界恐慌を受けて一時経営危機に陥ったものの、個人投資家や合併を積極的に支援することでこれを乗り切った。リーマンのベンチャーキャピタル業務の原点である。 1929年、リーマン・ブラザーズから投資業務を分社化し、リーマン・コーポレーション(Lehman Corporation)を設立した。もっとも、経営陣の多くはリーマン・ブラザーズと兼務していた。数年後、リーマン社史上の大きな転換点となる、資産管理業務に参入する。 社長のロバートは、リーマンのさらなる成長と拡大を目指すにあたり、それまで続いてきた同族経営の体質を是正しようとした。1924年には、リーマン一族以外では初となる共同経営者ジョン・M・ハンコックを招き入れ、1927年にはモンロー・C・ガットマンとポール・メイザーが加わった。1969年にロバートが死去して以降は、リーマン一族が経営を支配することはなくなった。ところがこの結果、リーマンは社の大きな求心力を失ってしまうこととなる。この事態の打開のため、1973年には、ベル&ハウエル社のCEOピーター・ピーターソンが経営に参加した。
※この「金融機関への転換」の解説は、「リーマン・ブラザーズ」の解説の一部です。
「金融機関への転換」を含む「リーマン・ブラザーズ」の記事については、「リーマン・ブラザーズ」の概要を参照ください。
- 金融機関への転換のページへのリンク