金井城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 01:22 UTC 版)
「松岡氏 (北勢四十八家)」の記事における「金井城」の解説
桑部村東金井西谷の山上にあり、地目は山林である。土塁の金井城の跡地がある。永禄時代の城郭で天文年間(1532年 - 1555年)に越前国丹生郡松岡の城主の松岡太郎左衛門家政の二男で朝明郡萱生城の配下だった松岡彦之進(金井氏と襲名)家勝が築城した。小山城主の高井氏、猪飼城主の小串氏、溝野城主の草薙氏と共に朝明郡の萱生城主だった春日部氏の春日部越前守の与力と従騎であった。 桑名の古文書によると1567年(永禄10年)9月に織田信長の家臣の滝川一益の攻撃で落城して、松岡彦之進は桑部村の西の天白山で自刃した。本丸・二之丸・三之丸等と思われる壇が見られて、土塁も部分的に残存している。城跡には討死した人を集めた塚がある。遺址には松岡彦之進家勝の墓があった。場所は三重県桑名市の東金井の西谷から東谷の桑部地域である。金井城は、員弁川が伊勢湾の手前の約5km下流で大きく南へ曲折している南側に山魂の北端にあった。桑部城と同じ丘陵を東側へ600mの地点で、東金井の集落の南西の裏山である。遺構はたくさんあり、曲輪・土塁・空堀・塚である。天文年間に築城。現在の状態は山林。平山城で標高46.2m。
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