野良犬強襲事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 10:10 UTC 版)
実父の勝小吉が書いた「夢酔独言」に依ると、『岡野へ引っ越して2ヶ月程、段々脚気も良くなって来た。9歳になった息子が御殿から下って来たので、本の稽古に3つ目向こうの多羅尾七郎三郎と云う用人の処へ通わせていたが、ある日その途中の道で、病犬に出会って金玉を噛まれた。』との記述がある。 これは、当時9歳(1831年)の海舟が野良犬に襲われた事件である。この事件が切っ掛けで犬が苦手になり、犬の大きさに関係無く晩年迄苦手にしていた。 本の稽古(現在の学習塾に相当)の帰り道に海舟が野良犬に襲われ、野良犬が袴の中へ潜り込み、陰嚢を噛み切られて睾丸が露出する程の裂傷を負った。 花町の仕事師八五郎と云う者が海舟を救助して、自宅に上げ医者を呼ぶなどの世話を行う。自宅で寝て居た小吉の元に知らせを入れ、小吉が八五郎の家へ向かった。 既に成田と云う外科医が呼ばれて居て、小吉が「命は助かるか?」との問いに「難しい。」との回答。海舟を自宅へ連れて帰り、地主が呼んだ篠田と云う外科医に傷を縫合させた。その医者の手が震えていたため海舟は泣きわめいたが小吉は枕元に刀を突き立てて「ここで死んだら犬死に」と黙らせた。 その外科医に様子を伺うと「今晩持つかどうか保証出来ない。」との診断で、生死を彷徨う重症で小吉は、金比羅へ願掛けの裸参りを行ない、毎晩水垢離をして祈った。 始終小吉が海舟を抱いて眠り、他の者には手を付けさせなかった。幸い快方に向かい陰嚢の傷も癒え、野良犬に襲われてから70日目には、日常生活が出来る程に回復した。
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