酒井忠順 (小浜藩主)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 酒井忠順 (小浜藩主)の意味・解説 

酒井忠順 (小浜藩主)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/01 01:26 UTC 版)

 
酒井忠順
時代 江戸時代後期
生誕 寛政3年3月24日1791年4月26日
死没 嘉永6年1月17日1853年2月24日
改名 亀太郎、与太郎(幼名)→忠順
戒名 天性院殿霊雄道智大居士
墓所 福井県小浜市男山の空印寺
官位 従五位下、従四位下、修理大夫
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
若狭小浜藩
氏族 雅楽頭酒井家
父母 父:酒井忠貫、養父:酒井忠進
正室:松平定国の娘
養子:忠義
テンプレートを表示
空印寺の墓

酒井 忠順(さかい ただより)は、若狭小浜藩の第11代藩主。小浜藩酒井家12代。

寛政3年(1791年)3月14日、第9代藩主酒井忠貫の次男として生まれる。文化3年(1806年)に父が死去したとき若年だったため、父の養子であった忠進が跡を継ぎ、忠順はその順養子となった。文化4年(1807年)12月、従五位下・修理大夫に叙任する。文政11年(1828年)、忠進の死去により跡を継いだ。同年12月、従四位下に昇進する。

この頃、小浜藩には30万両の借金があったため、忠順は10万石の格式を簡略化して財政再建に取り組んだが、天保4年(1833年)に領内大凶作で一揆が起こり、失敗してしまった。天保5年(1834年)2月5日、養子の忠義(忠進の五男)に家督を譲って隠居した。

嘉永6年(1853年)1月17日に死去した。享年63。

系譜





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  酒井忠順 (小浜藩主)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「酒井忠順 (小浜藩主)」の関連用語

酒井忠順 (小浜藩主)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



酒井忠順 (小浜藩主)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの酒井忠順 (小浜藩主) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS