酒井忠宝 (姫路藩主)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/14 22:07 UTC 版)
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時代 | 江戸時代後期 - 末期(幕末) |
生誕 | 文政12年(1829年) |
死没 | 嘉永6年8月10日(1853年9月12日) |
戒名 | 緝光院殿勲山源荘大居士 |
墓所 | 群馬県前橋市紅雲町の龍海院 |
官位 | 従五位下、雅楽頭、従四位下、侍従 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家慶→家定 |
藩 | 播磨姫路藩主 |
氏族 | 雅楽頭酒井家 |
父母 | 父:酒井忠讜、母:酒井忠藎の娘 養父:酒井忠学 |
妻 | 正室:喜曽姫(酒井忠学の長女) |
子 | 養子:忠顕、文子(酒井忠学の六女、忠顕正室) |
酒井 忠宝(さかい ただとみ)は、江戸時代後期から末期の大名。播磨姫路藩の第6代藩主。雅楽頭系酒井家19代。
略伝
旗本・酒井忠讜(ただなお:「言に黨」、第4代藩主・酒井忠実の5男)の長男。本家に男子がなく、先々代忠実の孫にあたることから、第5代藩主・忠学(忠讜の従兄弟にあたる)の婿養子となる。弘化元年(1844年)、忠学の死去に伴い家督を継ぐ。嘉永6年(1853年)、25歳で死去し、跡を従弟で養子の忠顕が継いだ。
経歴
官歴
- 1845年(弘化2年) - 従五位下雅楽頭、従四位下侍従
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