部分勝訴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 16:20 UTC 版)
「弘前大教授夫人殺し事件」の記事における「部分勝訴」の解説
事件の冤罪性自体を否定する国側に対し、1981年(昭和56年)4月27日に裁判長の矢崎博一が申し渡した判決では、ズック靴と白シャツについての鑑定の信頼性は完全に否定され、那須を犯人とみるべき証拠が何一つ存在しない状況で起訴に踏み切った一審検察官には注意義務違反の違法があったと認定された。戦後に発生した冤罪事件で検察官に過失責任が認められたのは、これが初のケースである。しかし捜査機関の不法行為については認められず、控訴審裁判所の判断についても自由心証主義の範囲内にあるとして違法性の訴えは退けられた。親族への賠償請求についても、那須の無罪によって精神的苦痛はすでに慰謝されているとされた。 最終的に那須当人にのみ認められた賠償の額は、拘禁中の逸失利益272万9201円に精神的苦痛を慰謝するための2000万円と弁護費用の87万円を加え、そこから那須側によって控除が求められていた刑事補償額の1399万6800円を差し引いた960万2401円となった。
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