郡庁所在地としての設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/17 10:24 UTC 版)
「ウィートン (イリノイ州)」の記事における「郡庁所在地としての設立」の解説
1857年、イリノイ州議会はデュページ郡庁をネーパービルに残すか、 ガリーナ・シカゴユニオン鉄道沿いで郡の中央に位置するウィートンに移すかを決定する議決を実施した。その結果、ネーパービルが1,542対762の大差をつけて勝利した。しかし、対立は次の10年間も続き1867年に再度議決が行われた。この議決ではウィートンが1,686対1,635の僅差で勝利し、ウィートン市は2万ドルの費用を投じてすぐさま役所、裁判所、刑務所などが入居する合同庁舎を建設。翌年の7月4日に供用が開始した。 しかしウィートン市とネーパービル市の対立は続き、1868年にはネーパービル市が旧裁判所に残る記録をウィートン市の新裁判所に移動させることを拒否。その結果、ウィートン市の退役軍人が現在「ミッドナイト・レイド(深夜の襲撃)」と呼ばれる事件を引き起こした。その結果、ネーパービル市の裁判所にあった裁判記録は安全のためにシカゴに移された。その間もネーパービル市はウィートン市に対して議決のやり直しを求める裁判を引き起こした。しかし、1871年に発生したシカゴ大火により資料は焼失。その直後にウィートン市が郡庁所在地として正式に宣言された。 ウィートン市の裁判所は1887年に69,390米ドルをかけて新築され、その後新館が建てられるまでの94年にわたって利用された。この旧裁判所庁舎はアメリカ合衆国国家歴史登録財に登録されており、2004年までは国立ルイ大学によって利用され、現在は高級マンションとして利用されている。 1990年11月2日、裁判所は旧庁舎から西に3km離れた場所に建設された新庁舎に移転した。新庁舎の建設には5,250万米ドルを要し、裁判所には3万m²が割り当てられた。
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