郡庁舎の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 04:27 UTC 版)
「クラークスビル (テネシー州)」の記事における「郡庁舎の歴史」の解説
初代郡庁舎は1796年にジェイムズ・アダムズによって丸太を組み合わせて建設された。現在リバーサイド・ドライブとワシントン通りの角となっている所に川岸近く建てられた。その後1805年の第2代、さらにヘンリー・スモールが提供した土地に第3代目の郡庁舎が建設された。4代目は1811年に建設され、初めて煉瓦造りとなった。マーティン・アームストロングが寄贈した土地である公共広場の東半分に建てられた。1843年、5代目の郡庁舎はフランクリン通りに建てられた。これは1878年の大火まで存在した。 6代目かつ現在の庁舎は1879年5月16日に礎石が置かれ、2番通りと3番通りの間に建設された。この建物はインディアナポリスのジョージ・W・バンティングが設計した。その5年後に中心街を襲った竜巻によって庁舎の屋根が損傷した。これは修復された。1900年3月12日、庁舎は再度火事に見舞われ、上部階が破壊され、時計塔が倒れた。多くの市民は庁舎が倒壊して安全なものに置き換えられることを望んだが、判事は取り壊しを拒み修復させた。 この庁舎は1999年1月22日の竜巻で再度破壊された。住民は新しい庁舎を建設する腹づもりだったが、最終的には全体が改修された。この災害からまる4年経った日に庁舎は再度除幕された。当初の庁舎や広場の再生に加えて、新たにその北側にコートセンターが建設された。
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