選挙無効判決
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/17 16:31 UTC 版)
1951年(昭和26年)に3選された岡崎だったが、長期の市政運営による岡崎のワンマン体制下では、諸問題が山積するようになっていた[要出典]。 このようななか、1955年(昭和30年)4月の仙台市長選挙では、新人候補である弁護士・島野武が、4選を目指す岡崎と対決した。開票結果は僅差(550票差)で島野が落選、岡崎は市長4期目に就任した。しかし、開票事務に不正があったなどとして島野側が裁判所に異議申し立てを行った結果、仙台高等裁判所は1957年(昭和32年)10月25日に同選挙の無効を決定、岡崎は失職した。 この決定に基づくやり直し選挙は1958年(昭和33年)に行われたが岡崎は立候補せず、対立候補に2,828票差をつけて当選した島野武が、次期仙台市長に就任した。
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