選挙干渉との関連性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/28 06:07 UTC 版)
予戒令の公布及び施行日の約3週間後、1892年(明治25年)2月15日に第2回衆議院議員総選挙が行われた。この選挙では、第1次松方内閣の品川弥二郎内務大臣と白根専一内務次官らを中心として、内務省が大規模な選挙干渉を行ったことで知られている。この選挙干渉では民党候補者および支援者に対して、保安条例や集会及政社法などの治安立法の適用が行われ、選挙運動から発展した抗争により、複数の府県で死傷者を出す事態が起きた。 予戒令の制定目的は、近時において多発する「政談集会ヲ妨害シ議会議員ヲ脅迫スル…人民ニ対シ警察上ノ監督」を行う必要があることを挙げている。しかし、予戒令が選挙実施の直近に公布施行された事実から、政府が選挙運動に対する準備として本令を制定したものと指摘する意見がある。なお、府県知事などの地方官によって、民党候補者および支持者を対象とした予戒令の運用がされた事件が起きたことがあった。
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