連立政権副首相
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 04:43 UTC 版)
「パルミーロ・トリアッティ」の記事における「連立政権副首相」の解説
1945年12月に成立した連立政権の首相には、キリスト教民主主義のアルチーデ・デ・ガスペリが就任し、トリアッティは法務大臣としてこれを支えた。その後イギリスやアメリカなどの連合国軍の占領下でパルチザンの武装解除を進めるとともに、トリアッティの指導の下で元パルチザンの共産党への組織化や、イタリア労働総同盟の結成を通じた共産党勢力の拡大を行った。 このような状況下で、1946年6月に行われた総選挙で、イタリア共産党は初めての議席を確保するとともに第3党の地位を獲得し、さらに同時に行われた王政維持か共和政移行かを決める国民投票では共和政移行が54%を占める結果となり、イタリアにおける王政が廃止されることになるなど、大きな追い風を受けることになった。 しかしイタリア共産党は、アメリカの主導で行われたマーシャル・プランによる財政及び経済支援に対して明確な反対を行ったほか、東西冷戦が明確化する中で、イタリアへの左傾化を嫌ったアメリカやイギリスの圧力を受けた結果、1947年5月に連立政権から去ることになった。
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